2011-04-28

当たり前という贅沢

今日は、
目の前に富士山の
見える場所へ伺った。
(右写真参照)
…写メールじゃ、
わかりずらいですね(笑)。

我が家も、
裏の山に登ると
富士山を拝めるのだが、
視界に入るその大きさ・
インパクトがここでは全く違う。

この野っ原に
家が建つ計画なのだが、
遮るものがないので、
リビングに寛ぎながら、
寝室の窓から、
湯船につかりながら…
富士山を見れる贅沢が
待っている。

銭湯のソレとは
訳が違う。

何とも羨ましい。

日本人にとって
特別な存在で、
信仰の対象とも
なっている富士山。

晴れた冬の日に
湘南海岸から江ノ島越しに
くっきり見えたときには感動し、
飛行機の窓下に
雲からアタマを出した
姿を見てはまた感動、
東京のビルの合間、
見えるハズない…と
思っていた場所で、
遠くに霞む富士山を見つけては
またまた感動…。

でも、ふと思う。

ここ甲府で産まれ、
物心ついたときから、
そこに当たり前のように
存在していた富士山とともに
生活してきた地元の人にとっても
同じような感動があるのだろうか。

窓から富士山の見える家…に
プレミア感はあるのだろうか。

先日、
友人と話をしていた際、
ボクが大船に住んでいる
…という話題になって、

 「毎日、大っきな観音に
 見守られている街で
 暮らせるなんて幸せだね!」

…と彼女が言っていたのだが、
物心ついたときから
そこに観音が存在していた
ボクら大船住人にとっては、
空気のような存在でしかない。
(観音様、失礼しました…)

果たして、
甲府の人にとっての
富士山って。


<今日の逸枚>
その富士山。
まわりはさくらんぼ畑。
いいなぁ。

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